自然農業・私の生きがい

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・自然農業、私の生きがい

 平成10年、大手町の農協ビルで聞いた講演が、私のその後の人生を変えることになりました。農業は、それ以前からの私の大きな関心事でした。元々、畑と平地林が交互に織り成す武蔵野の農村地帯で育ち、周囲のほとんどは農業環境であり、ヤマ、カワ、ノハラの中に身を置くことの楽しさを知っていました。自然そのものへの関心で、したがって、農業への関心も、もっぱらその方面からの接近で、私は早くから環境と農業への関心を抱いていました。
 そういう子どものころからの素地があった私に、自然の摂理や仕組みからつぐみだした知恵の輪のような自然農業は、私の心に無理なく溶け込み、待たれていた出会いのように合一の状況となりました。なぜ、これほど自然農業が私の心を捉えたのか。創始者の趙漢珪氏の思想と実践によるものです。
 最大のことは、自然の摂理という真理以外に価値を求めないことです。それを前面に出した法理的、宗教的崇拝物をつくらず、自然のあるがままから抽出した知恵と渾然一体となった農業をめざすこと、この思想に私は惹かれました。もし、そこに、宗教的崇拝や人間を縛る掟のようなものが臭っていたら私は必ず拒否したでしょう。
 それが全くなかったのです。それは、趙漢珪先生の思想というか、固い信念によるものと思います。先生自身はキリスト教徒ですが、宗教の話しが出たことは私の記憶する限り一度もありません。先生が言うことはただ一つ、「観察せよ」ということ。これに尽きます。そこに徹することにより自然への畏敬と謙虚さと生きとし生けるものへの愛情が育まれます。
 さらに、「自然農法」というとそこに掟のような意味が付与されることで、人間を縛り自由を失わせることになるので使わない、とされました。自然の観察によって常に知恵は進化し、個々人の創意・工夫によって技術を創造していく過程は、正に人間としての自由な行き方である。その創意・工夫による知恵の基盤として、趙漢珪先生によって集積された観察の体系があります。私たちは、それを元手に自らの観察によって自分自身の創造を重ね、最適生産と最適経営を求めて行くわけです。自然農業の観察が個々人に即した合理的な経営論に収斂されることも、非常に魅力的なところです。
 自然農業の革新性は、思想・哲学として、技術論として、経営論として、あらゆる方面に波及・拡大する潜在性をもっています。その考え方の基礎を学ぶのが基本講習会です。私は、2001年(平成13年)、兵庫県加古川市で開催された講習会に参加し、その後、韓国の自然農業農家を訪ねる研修に参加し見聞を広げました。『素晴らしき韓国自然農業』に詳しく書きました。

・第16回 自然農業基本講習会 (於 加古川市 2001年6月25日)

講習会参加者。1週間の講習では、毎日、午前8時から午後5時まで講義が行われた。 - クリックすると拡大します!
講習会参加者。1週間の講習では、毎日、午前8時から午後5時まで講義が行われた。
各人が講習の感想を記した文集。 - クリックすると拡大します!
各人が講習の感想を記した文集。
 

・自然農業のイメージ図

自然農業のイメージ図。この理想状態を求めていく。 - クリックすると拡大します!
自然農業のイメージ図。
この理想状態を求めていく。

・ある年の稲刈り

ある年の稲刈り - クリックすると拡大します!
 

・素晴らしき韓国自然農業

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